ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。 人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

やっと長年の念願が叶いました!

 昨日は参院選の選挙でしたね。朝のうちに家族3人揃って会場の小学校へ歩いて行き、投票してきました。いつもは2人だけですが、今回は珍しいことに息子が一緒に行くという…やっぱり若い人の関心が高くなっているというのは本当かも。

 今日も朝から全くの快晴で、まさに国民の祝日の一つ「海の日」らしい日でした。歳時記を見てみましたら、〝七月第三月曜日。海洋、貿易などに関する知識の啓発普及のための記念日〟と。しかし、この祝日は、明治9年(1876)明治天皇が東北巡幸の帰途、当時の優秀船明治丸に乗って横浜に帰られた7月20日を記念して、昭和16年(1941)に制定された「海の記念日」だったのを、平成8年(1996)から国民の祝日「海の日」としたもの。それが平成15年からは現在の日になったのです。

 やはり最近の新しい季語だからか、ホトトギス俳句季題便覧には載っていませんでしたね。例句を探していると、馬酔木の林翔先生の〈海の日病む昨日の海を憶ひつつ〉という句が見つかって…、いつごろ詠まれたのかしら?と懐かしかったです。

 今日はこの話が目的ではなくて、タイトルにあるように長年念願だったことが、今年は二つも叶ったということを書くつもりなんですからね。その一つは北海道の「利尻・礼文島」へ行くこと、もう一つは京都の「祇園祭」を観ることです。北海道へは今までに何度も行って、殆ど見て回っているのですが、この島だけは縁がなくて遠くから眺めるだけでした。祇園祭の方は何度か行くチャンスはあったものの、日程などが合わずに断念していました。だってどうせ行くなら祭の最大のイベント〝山鉾巡行〟の日に行かなくては…でしょう。それが今年は実現したんですよ。

 どちらも記念に書き残しておかなくてはと思いながら…北海道は6月15日~18日(水)の4日間のツアーですから、書き出すと長くなります。それでまだ歩き回った足の痛みが残っているうちに、忘れないように祇園祭のことから書きましょう。

 もちろん祇園祭に関するものはみな夏の季語ですよ。これは八坂神社の祭礼で、貞観11年(869)に、神の祟りとされる悪疫が流行した際、その勘気鎮めに疫病退散を祈願して、長さ6mほどの矛を、当時の国の数にちなみ66本立て、牛頭天王を祀ったのが始まりと言われています。

 この祇園祭は1150年以上続いていて、大阪の天神祭・東京の神田祭とともに日本三大祭にあげられています。その歴史の長いことと、祭事がほとんど1か月にわたってくりひろげられるという大規模なものであるということでひろく知られ、その山鉾行事は、昭和54年(1979)、国の重要無形民俗文化財に指定されたほか、平成21年(2009)には国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されました。

 その祭のメインの「山鉾(やまほこ)巡行」は、17日の前祭(さきまつり)と24日の後祭(あとまつり)にあり、それぞれ前祭に23基、後祭には11基の山鉾が巡行します。私は京都の友人、福岡の知人、その知人の京都にいるお嬢さんと計4人で、その宵山から前祭を見物しようと計画を立てたのです。

 祭の前日を宵山と言い、本番とはまた違った催しや楽しみ方があって、とても賑わうようです。その一つとして、一部の山鉾では一般の観光客が上がる(乗る)ことができるんだそうです。この日の午後は雨が降ったのですが、私たちが出かける夕方にはちょうどいい具合に雨も上がりラッキー!

 知人が知り合いの方から「月鉾」の搭乗券を頂いていましたので、私たちは会所と呼ばれる建物の2Fから、鉾に繋がる渡り廊下を渡って月鉾に乗ることができました。その会所の2Fには鉾を彩る豪華絢爛な懸装品が飾られていて、それらを間近で見られるのはこの期間のみだということですので、これもラッキー!でした。また、この鉾の上から京都の街を眺めるなんていうのも普通ではできない特別な体験でした。

 ではその豪華絢爛な懸装品の様子を写真でどうぞ…

ここからの写真は鉾の上からのものです。

降りて鉾を下から見上げると…高いですよ!

 ところで、この時期京都のお店にはあちらこちら〝檜扇(ひおうぎ)〟が活けてありました。それは、古代、檜扇が悪霊退散に用いられたことから、怨霊の怒りを鎮めるために始められた祇園祭には“祭花”として檜扇が欠かせないものとされてきたからだそうです。

 月鉾を下りてから他の鉾を観たりして、ぶらぶらと街中を通り、予約している食事処へ行きました。どこも人があふれています。さすがは京都ですね。宇部のような田舎とは大違い…当たり前か!(笑)

 それでは長くなりましたので、次の日の「山鉾巡行」の写真と記事は次にまわします。よろしく!